セミリタイアの日常

49歳でリタイアしました。セミリタイアという名の無職生活を綴っています。

ひとの家計簿や資産額が気になるわけ

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石狩湾新港  北海道は平地はほとんど雪がなくなり気温も10度くらいになってきました

 

 

 

セミリタイアブログではお金に関する記事がとても多いです。

 

それはひとのお金に対して興味が強くあるからだと思います。

 

私だってセミリタイアブログで公開された家計簿や資産額は気になります。

 

どうしてひとの家計簿や資産額が気になるんでしょうか?

 

多分、自分と同じような資産、同じような身分のセミリタイアしたひと(アーリーリタイア、完全リタイアを含めて)は、どうような暮らしをするのが普通なのか?あるいは自分より多い資産を持つ、身分の高い?ひとたちはどう暮らすのが普通なのか?を知りたいのだと思います。

 

そして、自分の持つ資産ではどういう暮らしが分相応なのかを確認したいのだと思います。

 

だからひとの家計簿や資産額が気になるんじゃないかなと思います。

 

 

自分のオリジナリティよりも世間の慣習が気になると言えるかもしれません。

 

どこかでみんなに合わせること、大勢にまぎれることを考えてしまっているのかもしれません。

 

上記の普通というのは、こうしていれば大丈夫なのかな?という意味合いで普通という言葉を使いました。

 

セミリタイアしたこと、それだけで普通ではないと思いますけど。

 

 

 

自分の資産額にはどのような暮らしがふさわしいのか?

 

答えは自分にしか出せないのですけどね。

 

自分のライフプランが確固たるものならひとの懐具合なんて気にならないのかもしれません。

 

すごい大金持ちが自分の資産額を公開することはあまりないことを考えると、セミリタイアブログで資産額を公開されるかたにすごい大金持ちのかたはあまり居なさそうということかもしれません。

 

セミリタイアブログは、私も含めて少ない資産ながらもお互いの暮らしが分相応なのか情報を出し合って安堵し合う寄り合い世帯的なコミュニティなんだろうなと思います。

 

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一億総活躍社会に思うこと

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AKB48ショーが終わりました。残念ですがAKBグループのアイドル文化は曲がり角なのでしょうね。

 

 

誰も弱者を助けようとしない、自立できない人は国が助ける必要はないと思う人が40%近くもいて、高齢者の孤独死は常態化しています。

 

企業が年功序列や終身雇用をやめ、家族離散が増え、非正規雇用が4割を超え多くの人が生活設計を立てられず心のゆとりをなくしています。

 

一億総自己責任社会。

 

自己責任を突き詰めていくと死しかないと思います。

 

一億総活躍社会とは働かない人を許さないということだと思います。

 

専業主婦を許さない風潮がその最たるものだと思います。

 

私には働かないことを許さない社会なんて政策の失敗にしか思えません。

 

男も女もみんな働け!なんて昔の戦時中のスローガンみたいです。

 

専業主婦のかたを持つつもりはないのですが、専業主婦はアメリカで始まり豊かな国のシンボルでした。

 

日本も高度成長期からアメリカを目指して専業主婦という概念が持ち込まれました。

 

私は家庭で家事をするのが活躍していないとは思いません。

 

主婦が活躍していないというのは政治の責任転嫁だと思います。

 

消費が増えないのは給料が下がっているからであり、人口が減ってきているからです。

 

今までのように労働力を増やし消費を増やす時代ではなくなってきているのに、一億総活躍社会で働かざる者食うべからずを目指していくなんて、とても違和感を感じるのです。

 

時代の変化だというのはわかりますが、世界中の国で生産が消費より多いのですから、これからは生産を増やすよりものを買ってもらう方法の工夫に力を入れるべきだと思うのです。

 

政治家の皆さんには、どうか助けを求められない社会をこれ以上悪化させないようにしてほしいと思ってしまうのです。

 

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なるようになる、先のことなどわからない

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北海道百年記念塔の今は老朽化が進み、四階展望台に登る階段も今は立ち入り禁止になっています。

 

百年の記念に建てたものなのに、これから先の百年後はわからないものです。

 

今の大人が、この先100年のライフプランを作ったって、100年先はほとんどの人は生きていないのでしょう。

 

遠くを身過ぎても先のことなんてわからないんですよね。

 

私もそれなりに準備してセミリタイアしたものの、遠い先のことを思うと不安が無いとは言えません。

 

そんな時、耳に入ってきて自分の気持ちにすとんとはまった言葉がこれです。

 

ケセラセラ、なるようになる、先のことなどわからない。

 

遠い将来の不安に対して万全の備えなど無いんじゃないでしょうか?

 

ひとりぼっちになるかもしれない、お金が無くなるかもしれない、お金の価値が下がるかもしれない、年金がほとんどもらえないかもしれない、そんな漠然とした不安をゼロにする方法なんて無いと思うんです。

 

セミリタイア の準備を、自分はもうこれ以上はできないとやるだけやったら、あとはもう、なるようになる、先のことなどわからない、と開き直って楽観的にやっていけばいいんじゃないかと思います。

 

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ひとりになっても生きていける計算高さ

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東京では桜が満開になったらしいですが、北海道では昨日今日雪が積もりました

 

 

この年で老けこんでどうする?と言われても困っちゃうのですが、50代も半ばを過ぎると老いを感じる今日この頃です。

 

もちろんまだまだこれから!とは思っていますけど、体力的には40代後半からの低下はいなめません。

 

我ながら体力の低下なんて、なんておじいちゃんみたいな話しなんだろうと思ってしまいます。

 

でも介護施設に行くと、50代とおぼしきかたもいらっしゃるのです。

 

体力維持はひとごとではない年齢なんですよね。

 

 

 

ここ数年、介護や退職・看取りなどのライフイベントが多くありました。

 

サラリーマンのままでは無理なことも多かったです。

 

私の場合、退職はある日突然降っておりてきたので、退職後のこととか考えられる時に考えておいた方が良いと思いました。

 

 

うちは、今年からようやく二人揃ってのリタイア生活となります。

 

世間体的には今まで私、ヒモに見られていたかもしれません。

 

老人でもないのに、ひとりでうちにいると何だか居辛さを感じるんです。

 

日本は働かない人を許さない方向に進んでいる感じのニュースが多いので、引け目を感じずには居られないのです。

 

でも無職生活はとても楽で、これはこれでやめられないのですけどね。

 

あれだけ会社を辞めたかった私にやめられないことがあったなんて!という感じです。

 

あーダメ人間。

 

私のような、会社で人間関係の難しさをいかにしてうまく泳ぎきるか?に躍起になっている周りに同調できない規格外こそ、集団から離れた時にどうやって生きていこうかを真剣に考えていざという時のためにお金を備えないといけないと思います。

 

誰にでもいい顔をするのではない生きかたを目指すなら、ひとりになっても生きていける計算高さを黒い羊であるなら持つべきだと思います。

 

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町内会という病

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エンディングノート。いつになるのか、役に立つのか分からないけど、あんまり延命治療しないでくださいのチェックを入れてあります。

 

 

セミリタイアブログの記事で、町内会に関する記事をたまに見かけますが、どの記事も町内会とは一線を引いた、一線を引きたいという強い気持ちを感じます。

 

実は私もそう感じています。

 

どうもムラ社会の匂いのする組織には関わりたくないのです。

 

個人はみんなのために、みんなは個人のために、のムラ社会の共同一致の精神で成り立つ組織。

 

 

北海道は明治になってから和人が開拓に入った土地で国内では比較的新しい歴史の若い場所です。

 

でも、そんな北海道でも、たかが数十年でも先に住んでいるというだけで、ひとは自分を土地の人間だと思い、後から来た人をよそ者として見てしまいます。

 

隣近所大したルールがある訳でもなく、大した付き合いをしている訳ではないのに、後から来た人には上から目線で見るのです。

 

どこでもそうでしょうけど。地域社会だけではなく学校ですら転校生はよそ者として見られます。

 

とても残念なムラ社会の慣習だと思います。

 

セミリタイアブログを読むと町内会とは馴染めないと感じるかたが多いようです。

 

 

下重暁子さんの著作に家族という病がありました。家族はひとりひとりがそれぞれの役を演じていると揶揄していました。

 

昭和では、それがひとつの幸せの形であったのですが。

 

会社組織や町内会組織も同じように、役を演じることでまわっていることでは同じだと感じます。

 

会長、副会長、各部長…。まるで会社組織のようですからね。

 

セミリタイアラーとうまくやっていけるわけがない組織図だと思います。

 

会社組織の役を演じるのが嫌でセミリタイアしたのですから。

 

自由になりたいから今に至っているセミリタイアラーには居づらい会社組織のようだと思います。

 

 

多分、町内会の多くの会員は出来れば関わりたくない存在だと思っているでしょう。

 

自治体ではしきれない部分を自主的にやるということでは必要性はあるとは思います。

 

でもね、ほとんど付き合いのないうちのひとの冠婚葬祭を伝えろ!というような、上から目線の町内会には関わりたくないし、見ず知らずの面識のないひとにまでうちの冠婚葬祭を伝えたいとは思いません。そんな住んでいる側からしたら迷惑と感じる組織は無くなっても構わないと個人的には思います。

 

家族の形、幸せの形、会社組織の形、が時代とともに変わってきているように、町内会の組織や住民との関わりかたも変わっていかないと住みづらさを感じるひとが増えていく一方だと思います。

 

もっとゆるい関わりあいに成ればいいのにと思います。

 

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