セミリタイアの日常

49歳でリタイアしました。北海道在住、気の向くままの生活をしています。

羽幌甘エビ祭り

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羽幌甘エビ祭りに行ってきた。

12時前に着くと出店はすでに大にぎわいだった。

 

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あいにくの雨模様だったけどテントがあるから濡れないで食べることができた。

出店には甘エビ丼がなかったので近くのお店で甘エビ丼を食べた。

甘エビ丼を食べた食堂は普段もやっているのでお祭りでなくても甘エビ丼は食べられる。

でも、羽幌の手前の苫前の道の駅ではここよりもっと安く甘エビ丼を食べられる。

 

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お祭りの出店って何処に行っても、お母さんの屋台って感じのものが多くてぶっちゃけ専門店のほうが美味しい。

これは日本でも外国でも同じことのようだ。

外国の屋台だと衛生的でないことがあるから食あたりが怖い。

 

お祭りって大抵土日にあるんだけど、人混みが苦手な私としては残念だ。

わざわざ人混み目指して遠出するのもなあと思ってしまう。

そしてお祭り価格。

その辺のスーパーで刺身を買ってご飯にのせても満足感はあまり変わらない気もする。

 

観光しに遊びに行く目的で羽幌に行っても、せっかくのお祭りなのにどこも寄る所が見当たらないのは残念。

観光って呼べばいいってもんじゃないから難しい。

 

初夏の今の季節、北海道観光には最高の季節だと思う。

私は今の季節の北海道が一番好きだ。

 

お金を使い過ぎかも?自分はしっかり者だと思いたいんだけど

f:id:ezoris:20170622141109j:image北海道 穂別 海竜の化石  記事とは関係ありません

 

どんな暮らしなら満足できるかは自分で決めるしかないけど、お金をなるべくかけない生活もピンキリだと思う。

 

私はこの2年で旅費に300万円ほど使っているが、仮にこの300万円を使わなくても生活はできたと思う。

お金を使えば使うほど生活の満足度が上がるかというとそうでもない気がしている。

少なくとも、旅費300万円ではそうでもないと思っている。

そうでもないにしたら使いすぎたかなあと思う。

この程度でお金が惜しくなるとは、自分は大してお金持ちではないのが裏ずけられた気がする。

 

普段の日常生活はそんなにお金を使ってはいないし、節約してお金を使わない生活を目指せばひと月10万円かからない生活費で暮らすこともできる。

ひと月10万円生活なんて、サラリーマンの時は天引きもあったのでまず無理だったけど。

 

生活費はもう少ししぼれると思うけど、あまり節約する生活をするとストレスが怖いのでほどほどにしたほうがいい。

ストレスの反動で散財すると意味ないから。

 

そうは言っても、ひと月3万円とか、Bライフのような金銭感覚で生活をしているかたもいるのは驚く。

ひと月3万円で暮らせるなら老後不安とか吹っ飛んじゃうと思う。

国民年金でも余裕でOK?って感じかも。海外ノマドとか考える必要がなくなってしまう。

 

ひと月3万円生活は自分には無理だと思うけど、お金をなるべく使わない生活をすると、今の蓄えで長く生活できるということだから、どの辺りが自分にあった暮らしなのかを試してみて、その結果意外とお金がかからない生活ができると分かると、気分的には楽になると思う。

 

私の場合、セミリタイア後ひと月6万円で済んだのが最小額だったが、翌月ははね返りがあった。

そんなにストレスを感じなくて済むのは生活費としてひと月15万円かな。もう少ししぼれるかも。

2人分の生活費となると20万円くらいかな。余裕を持つともう少しいるかも。

そうするとよく見かける老後の生活費に近いので、私は平均と言われる生活をしているのかもしれない。

こう思うこと自体ネタ記事のカモになっているのかも?

 

平均的な生活費なんて意味がないと思っているけど、自分に近い金額だとどう思えばいいのだろう。

私はお金を使い過ぎなのかも?自分はしっかり者だと思いたいんだけど。

お金の使い道はどこにウェイトを置くか、考え直したほうがいいかもしれない。

 

今年は定期の利率がますます厳しい。個人国債キャンペーンのキャッシュバックでしのぐか

私の資産は主にネット銀行の定期預金にしている。

 

これまでは、年0.5%くらいを目標に定期の利息をもらっていたんだけど、去年くらいから0.5%はほぼ見かけなくなってきた。

 

10年前は1%くらいあったのに。

 

いよいよ、個人向け国債のキャッシュバックキャンペーンのほうが定期の利息より高くなってきている。

 

個人向け国債のキャッシュバックキャンペーンも、利率にすると0.4%くらいに下がっている。

 

銀行間をお金を持ち歩くことはしないけど、金額が大きいと振込みとか疲れるんだよ。

 

いつまでマイナス金利を続けるの?勘弁してほしいよ。

 

歳を取ってから働く前提でリタイアするのは自分には無理だと思った

f:id:ezoris:20170618194250j:image北海道新幹線 新函館駅の駅弁   記事とは関係ありません

 

北海道では、50も半ばになるとアルバイトだって選べるほどない。

だから、リタイアするまでに働かずにすむようなライフプランしかないと思ったし、歳を取ってから働く前提でリタイアするのは自分には無理だと思った。

 

何処でも馴染めるひとなら、それこそフリーターとして生きていけるかもかもしれない。

でも、どこでも働けるというのは才能のようなもので、私には選択肢としてはなかった。

 

私がが生きていける方法を考えると、貯金して早期リタイアするほか無かった。

リタイアして、人生の楽園に出てくるような、ハイレベルなコミュニケーションを希望する気持ちはサラサラ無かった。

 

さらに言うと、私は人生の楽園に出てくるような、何かをやりたいひとではなかった。

それこそ、なにもやらないひとになりたかった。

ぶらぶらしている生活を目指すんだから、番組になんかなるわけがない。

 

倒れるほど働いたんだから、ゆっくり楽しく暮らしたいのだ。

それこそ、私の目指すセミリタイア生活だった。

 

気の向くままに生活する。

 

やりたいことが見つからないと嘆くかたもいるかもしれない生活だけど、気の向くままに生活できるなんて最高だと思うのだ。

 

なんでもかんでも手に入れようとしたら、今の生活は手に入らなかった

f:id:ezoris:20170616211444j:image函館 きくよ食堂の巴丼 記事とは関係ありません

 

一般的なサラリーマンの生きかたからすれば、定年まで働けなかった私は落伍者かもしれない。

 

でも、多くのサラリーマンにはできない生きかたをしている。

 

働かなくても困らないだけの用意ができたのだから。

お金のために働かなくても良いというのは、ある意味しがらみから解放された自由な生きかただ。

嫌な思いをしながら会社や上司にしがみつく必要はない。

そんたくなんて知ったこっちゃない。

 

でも、なんでもかんでも手に入れようと思ってやっていたら、今の生活は手に入らなかった。

それこそ、自分の存在は世界の誰にも知られないでも良い、くらいの覚悟と引き換えだった。

 

「日は暮れたが、まだ行く先は遠い。しかも自分の人生はすでにつまずいて進めないところまできている。こうなったら、一切の関わりを投げ捨てなければいけない時なのだ。」

有名な徒然草の一節の心境だった。

そして、この心境を実行して今に至っている。

 

会社つながりはじめ、人とのつながりをリセットしてきた。

セミリタイアブログで前の会社のひとと会ったりしているかたの記事を読むと、よくそんなことができるなあと思ってしまう。

前の会社に今の自分のことがネタになることを考えると、わたしは前の会社の人と会おうなんて思わない。

 

私は前の会社に絶望して離れたのだ。

絶望と孤独と引き換えにお金を手にしたと言っても言い過ぎではない。

もし、それでもセミリタイアをしている私のことをうらやむのなら、どうぞやってみたらいい。

今の私にはお金しかないのだ。何もないよりはマシかもしれないけど。

 

多くのひとがそれをしないのは、変化が怖いから現状にしがみついているのだ。

本当に死ぬほど嫌な会社なら、逃げでも何でもいいから離れるべきだった。

そうすれば、今とは違う選択をして妻子との別れを経験しなかったかもしれない。

その場合は、今も何かしらの仕事をして働いていただろうしセミリタイアもなかったと思う。

 

何かを取れば何かを失うことがある。

それが正しいと思っていても、何かを失うことと引き換えになってしまうことがあるのだ。

私にとって、それが、両親の介護を選んで、会社と妻子との別れになった選択だった。

YUIじゃないけど、正しいことばかり選べないのだ。

 

私は昔から誰にでもいい顔をすることが下手くそだった。

世渡り上手な人ほど、誰にでもいい顔をしている。

私は世渡り下手なクセに嫌われ役を買うことが多かった。

 

両親を看取ってこれで良かったのだ、なんて短絡的なことは思っていない。

兄弟も元妻も誰も両親の介護をしようとせずに、私だけで背負い込んだ格好になった。

親の死に目に会おうともせずに、死のとこの親にヤンキーしゃがみで見下ろした兄弟を私はまだ許せない。その兄弟の借金を私は助けるのだろうか。

私の親を見捨て、私が何度も土下座して働いてくださいと頼んでも働こうとせず、私と別れてからは子どもの扶養になっている元妻の行く先が生活保護だったとしても私は子どものために手を差し伸べるのだろうか。

もう、昔のようにこの家でみんなと会う日は来ないのだろう。

 

誰にでもいい顔をしていられる世渡り上手なひとになりたかった。