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セミリタイアの日常

49歳でセミリタイアしました。北海道在住のベビメタファン。

何もしない系セミリタイアセンスとは?

セミリタイアするまで私は必死に働いた。

もう一度以前のように働きたいとか不完全燃焼を感じるとかはない。

たとえ今の年齢でセミリタイアするのは早いと言われても後悔はない。

むしろ若いひとに仕事を譲った自分の気構えを誇らしくさえ思っている。

 

セミリタイア後、ひとによっては資格を取って、ひとや自分の役に立とうという努力をする方もいるが、私はそういう気持ちも起きない。

 

資格って、私はこんな能力があるんですよ、という表す指標だと思う。

自分をひとにアピールするには資格のようなものがあると分かりやすい。

 

でも私は、セミリタイア後ひとに認められる必要を感じないのだ。

既に隠とん生活の中だからだろうか?

 

どんな資格でも、資格というものは勉強しないと受からないものだ。

資格勉強をした結果、資格を取れて、自分はこんな勉強をしましたということを、ひとに認められるのだ。

 

私はセミリタイアしたらのんびりしたいと思っていた。

家の修繕や料理などはできるようになれればいいなと思ったりするけど、それらの資格を取りたいとは思わない。

 

勉強を楽しいと思うひとはいろんな資格勉強をして資格取得すればいいと思う。

 

これからひととのつながりを増やそうする延長線上に資格取得があるなら、まだ現役に戻るぞ!ひととのつながりを膨らませていくぞ!という方向性かもしれない。

 

でも私はそういう気持ちが不思議と起きない。

仕事や趣味をしていないと退屈だというのが理解できないのだ。

 

家にいて別に普通に過ごすことに退屈を全く感じない。

こういう生活が自分に向いていたということなのかもしれない。

 

何もしない時間を退屈に感じないことが、何もしない系セミリタイアセンスかもしれない。

何かをしなくても、家にいて嬉しい、楽しいと思っている。

セミリタイア後何もしないので退屈だ、家にいて退屈だというのは感じない。

自分でいうのも何だけどちょっと変わっているのかもしれない。 

 

私のセミリタイア生活は自分を演じる必要のない、誰にも自分をアピールする必要を感じない生活だ。

 

こんな風に仕事をずっとできてたらセミリタイアしなかったかもしれない。

 

今、自分に無理をして働いているひとには、できるだけ早くセミリタイア生活に入ることをお勧めしたい。

 

それがすぐには叶わないなら、自分を演じない生き方を模索をして、生きづらさを人生から減らせられるといいと思う。

 

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