セミリタイアの日常

49歳でリタイアしました。北海道在住、気の向くままの生活をしています。

なんでもかんでも手に入れようとしたら、今の生活は手に入らなかった

f:id:ezoris:20170616211444j:image函館 きくよ食堂の巴丼 記事とは関係ありません

 

一般的なサラリーマンの生きかたからすれば、定年まで働けなかった私は落伍者かもしれない。

 

でも、多くのサラリーマンにはできない生きかたをしている。

 

働かなくても困らないだけの用意ができたのだから。

お金のために働かなくても良いというのは、ある意味しがらみから解放された自由な生きかただ。

嫌な思いをしながら会社や上司にしがみつく必要はない。

そんたくなんて知ったこっちゃない。

 

でも、なんでもかんでも手に入れようと思ってやっていたら、今の生活は手に入らなかった。

それこそ、自分の存在は世界の誰にも知られないでも良い、くらいの覚悟と引き換えだった。

 

「日は暮れたが、まだ行く先は遠い。しかも自分の人生はすでにつまずいて進めないところまできている。こうなったら、一切の関わりを投げ捨てなければいけない時なのだ。」

有名な徒然草の一節の心境だった。

そして、この心境を実行して今に至っている。

 

会社つながりはじめ、人とのつながりをリセットしてきた。

セミリタイアブログで前の会社のひとと会ったりしているかたの記事を読むと、よくそんなことができるなあと思ってしまう。

前の会社に今の自分のことがネタになることを考えると、わたしは前の会社の人と会おうなんて思わない。

 

私は前の会社に絶望して離れたのだ。

絶望と孤独と引き換えにお金を手にしたと言っても言い過ぎではない。

もし、それでもセミリタイアをしている私のことをうらやむのなら、どうぞやってみたらいい。

今の私にはお金しかないのだ。何もないよりはマシかもしれないけど。

 

多くのひとがそれをしないのは、変化が怖いから現状にしがみついているのだ。

本当に死ぬほど嫌な会社なら、逃げでも何でもいいから離れるべきだった。

そうすれば、今とは違う選択をして妻子との別れを経験しなかったかもしれない。

その場合は、今も何かしらの仕事をして働いていただろうしセミリタイアもなかったと思う。

 

何かを取れば何かを失うことがある。

それが正しいと思っていても、何かを失うことと引き換えになってしまうことがあるのだ。

私にとって、それが、両親の介護を選んで、会社と妻子との別れになった選択だった。

YUIじゃないけど、正しいことばかり選べないのだ。

 

私は昔から誰にでもいい顔をすることが下手くそだった。

世渡り上手な人ほど、誰にでもいい顔をしている。

私は世渡り下手なクセに嫌われ役を買うことが多かった。

 

両親を看取ってこれで良かったのだ、なんて短絡的なことは思っていない。

兄弟も元妻も誰も両親の介護をしようとせずに、私だけで背負い込んだ格好になった。

親の死に目に会おうともせずに、死のとこの親にヤンキーしゃがみで見下ろした兄弟を私はまだ許せない。その兄弟の借金を私は助けるのだろうか。

私の親を見捨て、私が何度も土下座して働いてくださいと頼んでも働こうとせず、私と別れてからは子どもの扶養になっている元妻の行く先が生活保護だったとしても私は子どものために手を差し伸べるのだろうか。

もう、昔のようにこの家でみんなと会う日は来ないのだろう。

 

誰にでもいい顔をしていられる世渡り上手なひとになりたかった。